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zoom RSS 眼鏡を外すと大変身 「圓丈の百年目をきく会」で、圓生ゆずりの大作

<<   作成日時 : 2008/12/23 22:09   >>

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 平成20年12月23日(火・祝日)の国立演芸場は「圓丈の百年目をきく会」。独自の実験落語を標榜し、落語界に影響を与えてきた三遊亭円丈(三代目)が古典落語を演じる機会である。弟子の三遊亭白鳥らも顔を揃え、新作落語を披露した。
 最初に、出演のメンバーが勢揃い、圓丈師匠の還暦を祝う会の成功を機会に、毎年、12月23日に会を催しているのだという。昨年は、「芝浜」、今年は、「百年目」。
 圓丈の師匠の三遊亭圓生(六代目)は古典落語に徹した人である。新作落語で知られる圓丈も、古典落語を演じる時は眼鏡を外す。今日は、圓生を超えるとは言わないが、圓生が乗り移ったように演じるのだと言う。
55分間の長講である「百年目」は、江戸時代の小僧、手代、番頭、旦那の仕組みを解説するところから始まる。10年以上も無給で働く小僧たち、彼らを従える番頭は、今の社会で言えば、雇われ社長である。ストレスたるやいかなるほどのものか。
 この百年目という演目、大店の面々、芸妓、幇間など、様々な役を演じ分ける。そして、一人の噺家から、店の中の様子から、大番頭が衣装を替えて裏の世界へと赴く様子、柳橋から向島へと舟で向かう様子、隅田川の桜の美しさが見えてくるのである。そして、ばれたときの大番頭の苦しみ、仮病、夢、そしてゆるしと一つのカタルシスに至る過程のようだ。
 筋はどうってことのない噺といえば、そうなのである。しかし、日常から遊びの世界へ、そして天国から地獄へと変転するかのような展開の早さは、あの桂米朝でさえ、しくじったことがあるという大ネタなのである。それを、基本的な骨格は変えることは難しい(圓丈談)が、現代の社会人にも通じる外界と心情の世界が交錯した噺として、圓丈らしさを生かした話につくりあげるところで、創作魂に燃えた圓丈の心意気がうかがえる。生きた百年目を聴いた心地で嬉しかった。

今日も満員御礼である。

演目

林家彦いち なにがあったんだ (夢金のモジリ?)
柳家小ゑん アクアの男 (品川心中のモジリ?)
春風亭昇太 宴会の花道
三遊亭白鳥 悲しみは国立演芸場に向けて
   (三遊亭円丈の「悲しみは埼玉に向けて」の改作)
三遊亭円丈 百年目



百席(37)一人酒盛/百年目
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