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東京都世田谷区奥沢に宮本三郎記念美術館がある。世田谷美術館の分館であり、この地で創作活動をしていた故宮本三郎氏の作品を展示紹介している。 明治38年に石川県小松市で生まれた宮本三郎氏は画家を志し、昭和2年には二科展に初入選、昭和8年には東京朝日新聞の連載小説(「三家庭」(菊池寛))の挿絵を手掛けた。昭和10年に世田谷区奥沢にアトリエを完成させた、 昭和20年には金沢市に疎開、昭和25年まで金沢美術工芸専門学校(現 金沢美術工芸大学)の教授を務めた。昭和28年には多摩美術大学の教授となった。昭和33年には日本美術家連盟理事長に就任している。昭和49年、69歳で亡くなる。 世田谷区は、平成10年に宮本三郎氏の作品群と土地の寄贈を受けて、ここに美術館を建設し、平成16年に開館したものである。 宮本三郎氏の作品を観るとき、驚かされるのは、その幅の広さと雑誌の挿絵、装丁に及ぶ活動ジャンルである。戦前には渡欧し、帰国後は前田寛治に師事したこともあるように西洋絵画の深い素養を持ち、展示室の中でもバラエティに富む絵画が輝きを見せている。聖堂を遠く眺める“シャルトルの風景”、静かな中に強い意思を秘めた“看護婦立像”。その一方で、林芙美子の「放浪記T・U」(昭和24年新潮社)、「風琴と魚の町」(昭和24年新潮社)、石坂洋次郎の「陽のあたる坂道」(昭和32年講談社)をはじめ、数多くの文筆家のバックライトの如く、その作品を世に送り続けた。 休日の昼間、美術館の中には我々の二人しかいなかったが、二階の展示室をゆっくり鑑賞し、自転車で街に戻った。 |
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